金魚島カレンダー制作に込められた思い!

尼崎和也さんとの出会い

 それは平成20年8月14日(故)尼崎和也さんが、訪ねてこられた当時、弊社では再版された「大島郡大觀」を委託販売しており、購入に来社された。
 
 中国新聞の岩柳版で読んだとのこと、東京にいて岩柳版を読んでいることに感心した、話をしながら領収書を渡すが、帰る気配はない、それどころか私のことをいろいろ聞き始めた。

後日、私は尼崎和也なる人物について情報を集めた、ある方に紹介されて親戚の女性にあった時「尼崎和也と金銭的なトラブルがあった場合は、全て私が支払いします」と言い切った、以後情報を集めるのをやめた、 凄い!!

二人の思い

手紙

 その尼崎和也さんから手紙が届くようになった。
 手紙の内容は、大島に対するラブレター、自分の生き様と幼い日の思い出が丁寧な字で書かれており、その手紙を見て人柄を推測し、文章を読んで思いを知った。

 平成20年9月の手紙には、団塊の世代を中心にその前後、多くの人材が島外に流失した、当時大島は大人も子供も元気で、貧乏ではあったが可能性があり活力もあった、この人達こそ大島の財産であると書いている。
 
 この人達に大島の風景写真でカレンダーを作り販売したら、尼崎さんの「大島を身近に感じてもらおう」と、私の「大島の風景を見てもう一度大島を振り返って欲しい」こんな思いが一致してカレンダーを作る話になった。

制作前

 自社で制作を検討した、写真は当社のカメラマンがすでに多くの撮影をしていたので問題はなかったが、販売価格はいくらにすればよいのか?
 これは女性社員が「1ヶ月100円」と言うので「それならば1,200円で販売したら本当に買うの?」「買います」これで1,200円は決まった。

 次に1,200円で販売為には、カレンダーは何冊販売しなければならないか?自社の労力は考えない計算、それでも270冊販売しなければ、作ることが出来ない。

 創業以来小売りの経験が全く無く、販売方法がわからない、私の予想は100冊も売れれば良い方だろう、赤字になると思った。

 電話で「赤字になるので、作ることが出来ません」と話すと、東京にいる大島出身者に、100冊はお願いしてみるので、残りの170冊はそちらで販売しなさい(自分で頑張れ)と言われ「ハー」と返事をしたが小売りの経験がないため170冊でも高い壁にしか見えなかった。

決心 

カレンダー

 1年間決心が付かないまま立ち止まっていると、電話や帰省時に尋ねてこられ、ついに2年目のカレンダーシーズン「嫌」とは言えず、赤字覚悟で翌年(平成23年)のカレンダー制作を約束した。

 この決断は、金銭的な赤字より販売の失敗で、社員の「やっぱりダメか!」とモチベーションが下がることを本当に心配した、初めて自分たちで、制作から販売までやってみようと、話し合って決心し、これが失敗したら大変である。

 他人は「転んだら立ち上がればいい」と言うが日良居タイムスの社長それほどタフではない。

新聞「金魚島タイムス」

 初めてのカレンダーは東京町人会で、100冊買って頂いたお陰で330冊販売しホームランではないがセーフであった。
 
 東京の尼崎さんに報告しお礼を申し出たところ「島外に出ておられる方に大島の情報を届けることは出来ないか」と相談され「新聞を作ってカレンダーの購入者に配布します」と約束したのが「金魚島タイムス」である。

別れ 

 その尼崎さんは「金魚島タイムス」が出来たのを見ることもなく、私と東京の郡人会で会う約束もかなわず、旅立ってしまった。

「一期一会」言葉は知っているが、これほど鮮烈に、私の印象に残っている人はいない。

今日

 カレンダーを購入して頂いた方々から、沢山のお便りを頂いています。
「金魚島カレンダーと金魚島タイムス」が大島を出て活躍しておられる方と、大島を結ぶ細い糸になれたら尼崎和也さんにも喜んで頂けると思い制作を続けてまいす。

明日

 尼崎さんが亡くなられて、東京のご縁もこれまでかと思っていましたが、次の夏、尼崎さんと親しくされていた、西村一孝さんが訪ねてこられ「カレンダーは出来ますか」と尋ねられご縁が繋がった。
 
 また郡人会の新規会長向井さん(久賀出身)もカレンダー販売にご尽力頂き、また協立歯科中原先生にも安高同窓会(東京)で紹介して頂ける事になった。
 
 近畿会の絵堂さんにも声をかけていただき、また広島の中本幸一さん和泉重夫をさんの両名にも大島で作っていると、友人に紹介していただいた。

2人の師との別れ

 尼崎さんとの出会いを作っていただいた亀川和夫さんが平成25年11月13日帰らぬ人となりました。
 亀川さんは大島郡のためにと「大島郡大観」を再販制作し、弊社に販売委託され1年前に完売するまで、決算期ごとに販売代金をお持ちしていろいろ話を伺っていた。
 師と仰いだ人がまた、1人亡くなられました。

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